日本の炭鉱世界遺産

世界の炭鉱遺産を巡る旅

連載コラム 「世界各地の石炭博物館めぐり」その4 東京近郊の石炭関連施設を巡って

東京猫ルドルフだあ。何?本当は岐阜出身のくせにって。その話は映画で確かめてもらうことにして、イッパイアンテナさんからもらった情報もあわせ、おいらがいかに情報通か示してあげましょう。
「江戸の敵を長崎で討つ」とかいうことがありますが、別に東京にそんな敵はおりません。あえていえば、世界遺産がたくさん長崎にあるのに、東京にはなかったこと?そういえばジュッチがいばっていたなあ。しかし今年の7月、東京都区内(東京都でいえば小笠原が既に世界遺産です)に、初めて世界遺産が登録されることになりました。それは上野の「国立西洋美術館本館」(図1)です。ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献は、20世紀の近代建築運動に多大な影響を及ぼした一人であるル・コルビュジエの作品群、ことにその中でも傑作とされる住宅、工場、宗教建築などをまとめて2016年7月に世界遺産リストに登録された物件です。世界各地に残るル・コルビュジエの建築作品のうち、フランスを中心とする7か国に残る建築群が対象で、多大陸を跨ぐ初の世界遺産登録となりました。

  ル・コルビュジエ(1887-1965年)はスイス出身でフランスで活動した建築家です。1926年には、白い箱型住宅を作るためのピロティ、水平連続窓などを含む5つの要点、いわゆる近代建築の五原則を定式化し、1939年には「無限に成長する美術館」を構想しています。これは真上から見たときに正方形になる美術館で、画廊が角ばった螺旋状に配置されています。収蔵品の増加は美術館に付き物ですが、周囲にあらかじめ広大な敷地を確保しておき、画廊を外側に拡延してゆくことで、そうした問題に対処し続けられるようになっています。実際にはこの構想を完全に実現した美術館が建設されることはなかったのですが、東京の国立西洋美術館(本館)は、いずれもその構想を土台に置いて建設されたものだそうです。東京都台東区上野公園に立地し、日本に残る唯一のル・コルビュジエの建築というだけでなく、東アジアでも唯一です。フランスから戦時中接収されていた松方コレクションが返還されるにあたり、その受け入れ先となる美術館の建設が必要となったことから、国立西洋美術館は建設されました。ル・コルビュジエが契約していたのは美術館の基本設計のみで、具体的な寸法なども含めた実施設計は日本の坂倉準三、前川國男、吉阪隆正の3人が担当し、ル・コルビュジエが生涯でただ一度となる日本訪問(1955年11月)を踏まえて、基本設計を行いました。1958年3月に起工式、それからほぼ1年後に竣工しました。ロダンの考える人やカレー市民を外面に置き、JR上野駅側から上野公園に入るところに立地する同美術館は展示内容のみならず、建物自体が世界遺産ですので是非お立ち寄り下さい。なお当美術館の常設展は、特に指定されない限り館内撮影可能と欧州の美術館のスタイルです。

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図1国立西洋美術館本館

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図2美術館外観模型

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図3ル・コルビジェの解説

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図4入口の19世紀ロビー

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図5エントランスホール

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図6屋外ロダン彫刻

 ①国立科学博物館は国立西洋美術館に隣接しています。開館9:00~17:00(入館は16:30 まで)、金曜~20:00(入館は19:30 まで)、休館は月曜(祝日の場合は火曜)、年末年始、入館料常設展示:一般600円、高校生以下無料※企画展は展示により異なります。西洋美術館側の入口でまず出迎えてくれるのが、D51-231機関車です。昭和14(1939)年に製造され、東海道本線、山陰本線等を経て、昭和59(1975)年に北海道を最後の活躍の場としました。これは館外なので無料で見ることができます。

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図7 D51-231機関車

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図8科学博物館外観

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図9科学博物館日本館内部

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図10科学博物館地球館1F

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図11日本館3Fの石炭を作った森

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図12同左展示の上砂川炭

 当館は、明治4(1871)年文部省博物局が湯島聖堂内に「観覧施設」として設置したのが始まりで、翌年には「文部省博物館」という名で初の博覧会を実施し、明治8(1875)年には「東京博物館」と改称しました。明治10(1877)年、上野山内の西四軒寺跡に新館が一部竣工。この年に「東京博物館」から「教育博物館」に改称しました。その後も何度か移転・改称を繰り返しています。大正12(1923)年の関東大震災の際には施設・標本の全てを消失してしまいましたが復興を図り、昭和5(1930)年に「上野新館」(現在の日本館)を落成しました(図8)。震災後の耐火性を重視した重厚な外観は内部のインテリア(図9)を含め、歴史を感じさせています。現在の名称である「国立科学博物館」となったのは昭和24(1949)年。その後は各地に研究所や分館をオープンさせています。"人類と自然の共存をめざして" をテーマにし、人類や動物たちの進化、自然環境の変化、科学技術の歩みについてなど総合的な展示を行っています。特に「自然史」と「科学技術史」に関する研究は世界でもトップクラスで、敷地内には、平成16(2004)年にオープンした「地球館」と平成19(2007)年改装された「日本館」があります。「地球館」(図10)には生物の進化と中心とした石炭紀の説明がありますが、より具体的には「日本館」3Fの日本列島の説明が詳しく理解が深まります。中生代後の第三紀のコーナー(図11)で北海道の上砂川炭(図12)に触ることができます。しかし展示物が多すぎ、石炭はどこにあるのかわからないというのが大方の人の実情でしょうから、スタッフに解説共々おたずねください。上野公園(図13)には他にも東京国立博物館、上野動物園、東京都美術館、芸大美術館、それに上野の森美術館などがあり、一日ではとても見切れるものではありません。うまく計画を立てて見学してくださいね。

 ②科学技術館は美しい緑に囲まれた皇居のほとり北の丸公園の中にあり、最寄駅は東京メトロ東西線竹橋駅です。開館9:30~16:50、休館水曜日、常設展示一般720円、中高校生410円、4歳以上260円。建物は宇宙に散在する星をイメージしたデザインの外壁で覆われ、上空から眺めるとまるで漢字の「天」という字の様に見えるそうです(図14)。現代から近未来の科学技術や産業技術に関する知識を広く国民に対しての普及・啓発を目的に、前回の東京オリンピック開催の昭和39(1964)年に開館しました。展示は参加体験型のものが多く、見たり、触ったりして楽しみながら、科学技術に興味関心を深めてもらえるように配慮されています。2Fから5Fの常設展示室には、生活に密着した科学技術や産業技術の幅広い分野をテーマ別に展開しており、3FにJCOALのブース「石炭ってなあに」がありますので、是非お立ちより下さい。北海道砂子産の石炭の展示と随時クイズを行っております。他団体の展示も実に興味深く、毎日行われる実験ショーや工作教室は子供たちの人気です。これらは先に調べて予約してご来館下さいとのことですhttp://www.jsf.or.jp/

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図13上野公園ブラリマップ

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図14科学技術館マップ

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図15科学博物館正面

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図16環境省展示

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図17JCOALブース

 ③都区内から一度出ますが、ぜひ一度は行っていただきたい施設が東京ガスの「ガスミュージアム」です。JR武蔵小金井駅もしくは西武新宿線花小金井駅より西武池袋線東久留米行きバスに乗車し「ガスミュージアム入口」バス停下車3分、10:00~17:00、月曜休、入場無料www. gasmuseum.jpです。ミュージアムに近づくと中庭にあるガス灯が昼から輝き、嫌でも明治の世界に逆戻りさせてくれます。受付左側の「ガス灯館」は、都区内本郷にあった建物を移設したもので、錦絵やプレグランの指導による日本のガス灯点灯の歴史を解説し、実演もしてくれます。当時の漆黒の夜に渾然と輝くガス灯がいかに文明開化を感じさせたかが実感できます。一方受付正面の「くらし館」(図18)は、都区内千住工場にあった計測器室を移設したもので、隅田川を使って北海道や九州から搬送してきた石炭を荷揚げして、明治26(1893)年からガス化炉(図19)でガス化して供給をはじめました由緒ある建物です。1Fはガスとくらしの一世紀として、調理・給湯・暖房ガス器具の変遷が説明されております。2Fに展示してある石炭(図19)は夕張産ですが、ガス化炉の模型は見事です。ガスの供給源が石炭→石油→LNGに変わっていった歴史も記されています。興味深いのはガスを利用したオルガン(図20)で鍵盤を押すとガラス管の中のガスの炎が変化し、やわらかい音色を奏でます。

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図18ガスミュージアム中庭

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図19ガスミュージアムくらし館2F

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図20ガスオルガン

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図21がすってなあに

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図22旧新橋停車場

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図23新橋駅前のC11-292機関車

 都区内東京メトロ有楽町線・ゆりかもめの豊洲駅からすぐのガスの科学館「ガスってなーに」(図21、入場無料、定休日月曜年末年始)http://www.gas-kagakukan.comでは、科学と暮らしの視点から、エネルギーと環境のはてなを学び、なるほどを実感できます。天然ガスのみならず化石燃料の全般が学べ、石炭の実物に触ることができます。お台場をゆりかもめで一周すれば、「国際展示場」「日本科学未来館」「船の科学館」「フジテレビ」「レインボーブリッジ」鉄道発祥の地「旧新橋停車場」(図22)がありますので、うまく訪問していただければと存じます。
JR新橋駅日比谷口には、一台のSL(図23)が鎮座しており待ち合わせ場所として、東京近郊の人には有名です。SLは毎日12時、15時、18時の3回汽笛を鳴らします。時々このSLか赤煉瓦の新橋駅を背景にテレビのインタビューされる人も多いようです。この蒸気機関車は「C11形」でタンク式といって、機関車1台の内部に水タンクと石炭を搭載するもので、近距離路線や駅構内の貨車の入替えなどに使われていました。このSLは鉄道開業100周年を記念して昭和47(1972)年に設置されたもので、姫路機関区に所属し、播但線や姫新線で活躍していたそうです。C11形は他に、大井川鐵道、真岡鐵道、JR北海道などで動態保存されていますが、新橋駅前の「C11 292」は、それらとは形が違う部分があり、大きな円筒形ボイラーの上にある「蒸気溜」「砂溜」で、他の機関車は丸いですが、「C11 292」は角張っています。これは物資が不足していた戦時中に製造された「戦時型」の特徴です。ここまでくれば、JCOAL事務所はもうすぐです(東京都港区西新橋3丁目2-1、Daiwa西新橋ビル3F)。 

 ④鉄道創業時の機関車(図24)は新橋-横浜間には現存せず、さいたま市大宮の「鉄道博物館(てっぱく)」に展示されています。新橋からは上野東京ラインが開通して、早く乗換無で行けるようになりました(ゆっくりでよければ京浜東北線でも乗換無でいけます)。平成19(2007)年に同館は、JR東日本の創立20周年記念事業として、従来万世橋にあった「交通博物館」を引き継ぎ、北海道鉄道創業時の弁慶号(図25)や運転シュミレータ、各種鉄道模型の運転等鉄道ファンならば垂涎の博物館です。さいたまニューシャトル大成駅すぐ、火曜休館10:00-18:00、一般1,000円、小中学生500円、入館にSuicaやSugoca等の交通系ICカードが利用可能です。明治5(1872)年、日本で最初の鉄道開業に際してイギリスから輸入された蒸気機関車10両中の1両が1号機関車と呼ばれています。1871年バルカン・ファウンドリー社製で、重要文化財です。1872年10月14日鉄道開業後は、客貨問わずに使用され、京浜間で約8年使用された後、明治13 (1880)11月には神戸地区へ転用されました。明治18(1885)年には中部地区半田に送られ、明治38(1905)年には、大阪地区で入換専用になっているのが確認されています。明治44(1911)年4月付けで島原鉄道の開業用に譲渡され、客貨牽引に用いられました。昭和5(1930)年鉄道省に戻ることになり、昭和11(1936)年から東京・万世橋の交通博物館に移され、しばらく同館で静態保存された後、てっぱくの開館に伴い大宮にやってきました。
 一方、明治13(1880)年の北海道初の鉄道(官営幌内鉄道)の開業にあたり、アメリカから輸入された蒸気機関車の一両がてっぱくに保存されています。これらの機関車は番号の他に歴史上の人物(北海道絡みが多い傾向)にちなんだ愛称が付されており、1-6号車には番号順に「義経、弁慶、比羅夫、光圀、信広、静」と命名されています。典型的なアメリカ古典機スタイルで、2気筒単式の飽和式テンダー機関車前端梁に取り付けられたカウキャッチャー(牛よけ)や大型のダイヤモンドスタック(火の粉止め)を取り付けた煙突、大型の油灯式前照灯、第1缶胴上に設けられたベル、木製の運転室などが、特徴的で、第2缶胴上に砂箱、ワゴントップ型の火室上に蒸気ドームが設けられています。1922年、北海道の1号機関車である「義經」を東京に新設される鉄道博物館(のちの交通博物館)に保存することとなり、7101が「義經」の後身であると推定されて確保されました。しかし昭和11(1936)年『7101が「弁慶」、7105が「義經」である』との調査結果が出て、7101は一転「弁慶」として復元されることとなり、昭和15(1940)年復元が完成し、鉄道博物館に収蔵、静態保存され、以降は一号機関車と一緒です。資料室も充実していますが、創業時の汐留発の機関車の用いた石炭産地を調べましたが、わかりませんでした。埼玉県は産炭地でないですが、お土産には「石炭あられ」をどうぞ。ここまで来たらもう動く蒸気機関車に乗るしかありません。高崎線で熊谷まで行きましょう。

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図24てっぱくの1号機関車

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図25てっぱくの弁慶号

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図26埼玉銘菓「石炭あられ」

 ⑤「パレオエクスプレス」は、秩父鉄道が1988年3月より運行しているSL列車です。秩父地方で発見された海獣「パレオパラドキシア」にちなんで、この愛称がついています。土・休日や春休み・夏休みの時期を中心に、熊谷駅から奥秩父の三峰口駅までの間を1往復しています。熊谷駅をだいたい10時頃に出発、三峰口駅に13時頃着、帰路は下り坂なので多少早く14時頃発で16時頃着です。蒸気機関車が12系客車4両を牽引しています。冷暖房付の客車ですが、窓を閉めても、石炭燃焼独特の臭気が漂よってきます。使用しているC58-363号機は昭和19(1944)年に川崎車輛で新製され、最初に釜石機関区に配置、その後は仙台→長町→石巻→郡山→新庄機関区と、主として東北地方で運用されました。昭和47 (1972)年に廃車となり、翌年から鴻巣市立吹上小学校に展示されていました。昭和62(1987)年に、'88さいたま博覧会の目玉として復活する事が決定し、車籍を復活、同年3月に高崎運転所に配置され、

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図27秩父路遊々フリーきっぷ

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図28秩父駅における撮影タイム

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図29SL運転室内

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図30撮鉄の方々

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図31自然の博物館のパレオパラドキシア化石と復元標本

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図32長瀞石畳

そのままJR東日本に承継され、大宮工場などで復元工事を実施され、同年12月付で動態保存を行う秩父鉄道に移籍して、昭和63(1988)年3月から同鉄道熊谷駅-三峰口駅間で「パレオエクスプレス」として運転を開始しました。その特徴は、本当に遅い、ものすごく遅い!後から来る電車に抜かれるので電車を使って先回りして車外からSLを撮影することができます。そのために購入のお勧めが「秩父路遊々フリーきっぷ」で、全線乗り降り自由で秩父鉄道線各駅にて1,440円で購入できます。なおSuicaやPASMO等の交通系ICカードは秩父鉄道では使えませんので、要注意です。SL列車に乗車するには、別に指定席(720円、JR東日本のみどりの窓口へ)あるいは自由席(SL整理券、510円、着席保証なし)券が必要です。都心から一番近い動態SLなので人気が高く、土日の自由席は立ちを覚悟してください。
 列車乗車前にホームにいたお子さんが発したことばが「火事だ!」。裸火を見なくなったからでしょう。皆黒煙をもうもうと吐く蒸気機関車は興味しんしん、停車中に記念撮影をするばかりでなく、運転席を覗き、石炭投入時に燃焼炎を見ることができ大感激です。車内案内では、C型機関車が石炭搭載場所が機関車一体で、ボイラー内では最高1200℃に達し、熊谷⇔三峰口1往復約1tの石炭を消費するとのことをわかりやすく解説してくれます。今回乗車した列車の使用炭は豪州産だそうです。長い乗車時間ですが、やさしい車窓解説や車内販売(てっぱくで紹介した「石炭あられ」パレオエキスプレスバージョンも販売してます)、写真撮影等結構時間がたつのが早いです。「パレオエクスプレス」の通過地には三脚をおいた「撮り鉄」の方々のみならず、一般の方もスマホで撮影、また列車の乗客に向かい手を振っていますので、思わず振り返してしまいます。道路を走行中の車も停車して撮影です。それほどSLは珍しく、話題性が大きいからでしょう。乗っている方としては優越感に浸れます。なお名称の元となった「パレオパラドキシア」の化石及び復元模型は上長瀞駅からすぐの、「埼玉県自然の博物館」(月曜休館、9:00~16:30 一般200円、中高生100円)で見ることができます。復元個体はちょっとかわいいです。残念ながら当博物館には石炭はありません。いうのを忘れましたが、博物館下の荒川一帯は、三波川変成帯のきれいな緑色結晶片岩が見られる有名な場所で、地学巡検地として最適です。

 ⑥高崎には更にD51-498とC61-20という2両の動態SLが在籍しています。こちらのすごいことは、10時前にある、SL牽引の2列車同時発車で、上越線(高崎駅-水上駅)の「SLみなかみ」と信越本線(高崎駅-横川駅)の「SL碓氷(うすい)」が走ります。こちらは原則としてDLもしくはELが反対側に連結されます。利用に当たり座席は指定席(520円)ですので、みどりの窓口で入手しておいてください。今回は「碓氷」で横川に行きます。「レトロ碓氷」とある場合の客車はスハ43系の旧型です。「D51 498」は、昭和15(1940)年11月に鉄道省鷹取工場にて落成し、まず岡山機関区に配置されました。後に吹田(1951年8月-)→平(1953年12月-)→長岡第一(1963年10月-)→直江津(1965年4月-)→新津(1966年3月-)→坂町(1972年3月-)と各機関区を転属しました。昭和47(1972)年10月に鉄道100周年記念で八高線にて運転されたイベント列車の牽引を最後に運用から外れました。
 その後同年12月に車籍抹消となりましたが、同日に群馬県月夜野町(現みなかみ町)に貸与されることが決定し、上越線後閑駅前に静態保存されました。しかし昭和63(1988)年3月高崎運転所へ回送、6月に大宮工場へ分解のうえ陸送し、動態復元に向けた大掛かりな復元工事を11月までに完了しました。その後動態保存機として車籍が復活され、同日付で正式に高崎運転所に配属となっています。一方「C61 20」は戦時形のD51 1094のボイラーを流用し、昭和24(1949)年8月に三菱重工業三原製作所にて落成し、青森機関区に新製配置されました。のちに仙台機関区へ転属し、当時の花形特急「はつかり」や「はくつる」などの牽引を担うため長らく在籍しますが、昭和41(1966)年12月に再び青森機関区へ戻ることとなりました。

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図33高崎駅におけるSL同時発車

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図34スハフ42の旧型客車

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図35かつてあった横川発電所

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図36かつてのアプト式機関車ED42

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図37EF63機関車の体験運転

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図38丸山変電所等へ寄るトロッコ列車

 5年後の1971年、東北本線の電化が進み活躍の場を失った当機は、宮崎機関区へと赴き、9月より運用開始。急行「日南51号」から貨物列車まで様々な列車の牽引に充当され、昭和48(1973)年8月に廃車となって国鉄から無償譲渡され、群馬県伊勢崎市の華蔵寺公園遊園地で静態保存されました。その後平成23(2011)年3月31日付けで車籍復帰、以後高崎車両センターに所属して活躍中です。基本「SL碓氷」は夏休みや土曜休日中心の運転ですが、12系の5-6両編成の客車運転が通常です。パレオエキスプレス同様、列車の速度はとっても遅く、これが蒸気機関車の運転だったと実感してください。休日晴天ならば沿線にはギャラリーがたくさん、手を振ってくれます。なおこちらのSLの燃料は今のところインドネシア炭で高崎⇔横川の60kmに約2tの石炭を使うそうです。

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図39丸山変電所跡

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図40めがね橋

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図41碓氷峠の交通図

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図42荻野屋の峠の釜めし

 D51牽引にせよC61牽引にせよ、高崎から1時間ほどで碓氷峠前の横川駅に到着します。この先に江戸時代まで箱根と並んで最も重要な関所とされた碓氷の関があります。横川駅の海抜高さは386m、軽井沢駅のそれは939mです。この両駅の間の距離は11.16kmで、これだけの間で553mも登る必要があるのですから、急勾配とならざるを得ません。明治26(1893)年にトンネル数26、レンガ造りの橋梁18を要する難工事の末、横川―軽井沢間の鉄道信越本線が開通しました。最大66.7パーミル、標高差553mの急勾配を走ることになったのは、ドイツから輸入したアプト式蒸気機関車3900形で、横川―軽井沢間を約80分で結びました。その後、3920形や国産の3980形が導入されましたが、最高時速9.6km、1日24往復、1列車10両(客車)が限界で、トンネルの多さから煤煙対策も問題になりました。当時の電力事情を考え、横川火力発電所(常磐炭を用いた石炭火力、図35)を新設するとともに、碓氷線の両端にあたる丸山(図39)と矢ヶ崎の2カ所に変電所を設けることで明治45(1912)年、日本初の幹線電化区間となりました。当初はドイツから輸入した電気機関車EC40形が走っていましたが、輸入した機関車を参考に国産を開発。ED42型 (鉄道文化むらで動態保存)等が走行し、碓氷峠を49分で結べるようになりました。しかし開通からほぼ100年後の平成9(1997)年10月の北陸新幹線高崎駅-長野駅間先行開業に伴い、新幹線の並行在来線区間のうち、横川駅-軽井沢駅間が廃止され、信越本線は2区間に分断されて、横川駅は終着駅となりました。そこに建設されたのが、「碓氷峠鉄道文化むら」(火曜休園、9:00~16:30、中学生以上500円、小学生300円)で、体験型鉄道テーマパーク(要別途料金)となっています。碓氷峠の歴史や資料、碓氷峠で活躍した鉄道車両を展示したり、信越本線の廃線跡を利用してEF63形電気機関車の体験運転(図37、所定の教習が必要です)が行われたり、トロッコ列車(図38)が運行されています。電気機関車が圧倒的に多く、SLは唯一D51 96-これは埼玉県長瀞でSLホテルとして使用されていたものを移設しただけとなっています。文化村のお土産品や資料館展示はSLが多かったですが。
 さてここの名物はいわずと知れた「峠の釜めし(図42)」。益子焼の土釜に入れられているという点が特徴の駅弁で、「日本随一の人気駅弁」と評されたことも。荻野屋は明治18(1885)年、横川駅の開業時に創業しました。初期の駅弁は、おにぎり2個に沢庵漬けを添えたもので、1包み5銭だったそうです。横川-軽井沢間の碓氷峠通過に際しED42形電気機関車への付け替えが必要なために、全列車が長時間停車する駅という立地にもかかわらず、業績は低迷していました。そこで当時の「駅弁=折り詰め」という常識を破り、昭和33(1958)年から販売が開始されたのが、「峠の釜めし」です。当時としては画期的だった温かい駅弁であったこと。文藝春秋のコラムに取り上げられたことから、徐々に人気商品となり、その後の隆盛へとつながるきっかけとなりました。さてここまでの不満は、これだけSLがいて石炭の展示説明が全くないことです。でもご安心ください。信越本線岡部駅もしくは上信電鉄富岡駅から車で10分のところにある「群馬県立自然史博物館」(月曜休館、9:30~17:00、一般510円、高大学生300円、中学生以下無料)には何だってあります。ふむふむ「高崎炭田」、何じゃそれ、富岡製糸場で使われた?え、これは別に調べてみないといけません。
  一方博物館の名前にくっついてる『自然史』という言葉を知っていますか?地球が誕生してから現在まで約46億年たっています。その間に原始的な生命が誕生し、無脊椎動物時代や、恐竜時代、ほ乳類の時代が過ぎて、私たち人類が誕生しました。このような、地球や生命の歴史すべてをまとめて『自然史』と呼んでいます。当博物館ではこの『自然史』をテーマとし、生命の歴史や群馬県の自然を紹介しています。特に見ていただきたいのが「ダーウインの部屋」。かの進化論を提唱したチャールズ・ダーウインの生涯・研究を人形を使って解説してくれます。また群馬県の誇る「尾瀬」の泥炭生成プロセスは、石炭にも関係しますから見ておいて下さいね。

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図43群馬県立自然史博物館

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図44同左ダーウインの部屋

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図45高崎駅だるま弁当

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図46 JR高崎線深谷駅

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図47東武博物館内

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図48真岡鉄道もうか号

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図49 SLきゅーろく館

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図50世界遺産検定認定書

⑦高崎駅に戻ると名物であるだるま(達磨)をかたどった容器を使用した「だるま弁当」(図45)が有名です。昭和35(1960)年に始めて発売されましたが、当初は陶磁器の容器でした。この高崎は7本もの路線が結節する北関東の交通の要衝です(図51)。I日本最初の私鉄日本鉄道が最初に全通開業させた路線が上野・前橋間の「高崎線」です。1884年の開業はわが国の鉄道ではかなり早い時期の開業です。それだけ生糸輸送の需要が大きかったわけです。現在の深谷駅舎や東京駅丸の内口の赤煉瓦を製造したのが、深谷市にある「日本煉瓦製造」で、北海道炭を利用して製品を貨車で出荷しました。日本煉瓦製造社は初の専用引込線を有し、製品は東京駅丸の内口の赤煉瓦に使われました。深谷駅(図46)が改装された時にも使われました。Ⅱ1885年開業で、当時日本鉄道上野駅と東海道線新橋駅とは線路がつながっておらず、日本鉄道の貨物を横浜まで直通するため建設されたのが「山手線」です。赤羽・品川間の貨物連絡線でした。Ⅲ1889年両毛鉄道として前橋・小山間を開業したのが「両毛線」。生糸の前橋、田口卯吉が日本のマンチェスターと呼んだ機業地伊勢崎・桐生・足利・佐野をジグザグに結び、前橋と小山で日本鉄道と連絡し、両毛地方と横浜を結びました。Ⅳ「上信電鉄」は1897年高崎・下仁田間が全線開業。富岡製糸場や沿線の生糸や繭、種々の物資を輸送。V「横浜線」は1908年八王子周辺や長野県の生糸を横浜へ運ぶルートとして開業しました。当時の輸送貨物は織物・綿糸・繭糸等でした。VI「八高線」は1934年全線開業。軍事物資と生糸輸送のため、高崎線のバイパスとして建設されました。VII 1910年浅草・伊勢崎間が開業。両毛線・高崎線・東北線に囲まれた三角地帯の中央を、両毛の機業地と東京を直結する路線が「東武伊勢崎線」です。ここで朗報です。「東武鉄道SL復活プロジェクト」が進展中です。2017年夏を目標にJR北海道からC11207を借り受けて、東武鬼怒川線下今市―鬼怒川温泉間12.4kmを30分強かけて運転させる事業が準備中で、運転士の訓練、駅舎の改良等着手しています。詳しくは,ウエブサイトhttp: //www.tobu.co.jp/sl/をご覧ください。また都区内に戻りますが、「東武博物館」にも注目です。最寄駅は東武伊勢崎線東向島駅です。施設は高架下にあります。大人200円、子供100円、スカイツリー観光の帰りに寄るのもいいかもしれません。東武鉄道で使用された車両展示をはじめ、電車・バスの運転シミュレーター体験コーナーや模型ジオラマなどが展示されています。今後SL復活プロジェクト関連も展示するとのことです。

⑧秩父鉄道やJR高崎地区と異なり、架線がないところを走るSLがあるのが真岡鐵道です。真岡鐵道は、旧国鉄の特定地方交通線を転換した第三セクター会社で、沿線自治体の委託を受け、平成6 (1994)年から蒸気機関車牽引列車として、土曜日曜を中心に「SLもおか」の運転を行っており、2両の蒸気機関車(C12 66, C11 325) を保有しています。C12 66は福島県の川俣ふもと川団地(旧国鉄川俣線岩代川俣駅跡)に保存されていたもので、平成11(1999)年,NHK連続テレビ小説『すずらん』の撮影に使用されました。過熱式のタンク式蒸気機関車です。昭和に入り主要幹線の整備が一通り済むと、大きな需要の見込めない閑散支線の建設が進められました。しかし折から経済恐慌が深刻化し、建設費を安く抑えるため簡易線が数多く建設されました。このような路線には軸重が軽く、運転コストの安い新型の小型機関車が要求されたため、C12形が製造されることになったわけです。一方C11 325は新潟県阿賀野市の水原中学校構内に保存されていたもので、昭和21(1946)年に日本車輌製造本店にて落成しています(製番1418)。当初は茅ヶ崎機関区に配属され、相模線や南武線の入換などに用いられましたが、その後米沢機関区へ転出し、米坂線や左沢線で使用された後廃車となっていました。真岡鉄道もSuicaなどの鉄道系ICカードは利用できませんので、JR水戸線下館駅で精算しておきましょう。SL列車はだいたい10:30頃下館発12:00頃茂木着、14:30茂木発16:00頃下館着で、乗車の場合は別途SL整理券(500円)が必要となります。茂木駅では転車台を用いてSLを付け替えしています。途中真岡駅に隣接してある「SLキューロク館」は火曜休館、開館10:00~18:00、入場無料は見ごたえのある施設です。施設の名称は、館内に展示している9600形蒸気機関車によります。大正時代の代表的な蒸気機関車の一つであり、太いボイラー、短い化粧煙突、低い二つのドームにかたどられた雄姿は「キューロク」の愛称で多くの人々に親しまれています。他にD51やキハ20などが屋外に展示されております。
 いい子の皆はそろそろ夏休みの宿題をまとめないといけないのでは?リエちゃんもそわそわしてきましよ。でも今回の場所の一つでも行けばすっかり解決、お父さんに連れていってもらいましょう。建築と鉄道が多かったですが、次回は船や炭鉱そのものの話になる予定です。
 さて大人も皆さんも(小中学生でも)気にしてもらいたい資格があります。それは「世界遺産検定」、世界遺産アカデミーが主催する検定試験です。世界遺産活動の目的である国際的な相互理解や平和理念、世界遺産登録の条件など、世界遺産を基礎から学ぶことで「世界遺産保全の草の根ネットワーク」が広がることを目的としています。第1回が開催された2006年から2013年までの受検者は6万人、認定者数は3万人を超えています。認定されると図49のような認定証が交付されます。受検料の一部は世界遺産基金(World Heritage Fund)に寄付され、世界遺産保全活動に活用されています。各世界遺産の背景には歴史や地理、宗教、芸術の他、地学や生物学、自然科学や人文科学を 横断するテーマがあり、世界遺産の遺産価値を学ぶことは「自然と人間の共生」を学ぶことにつながります。また同時に、世界各地の文化や歴史、自然環境を身近に 感じることができます。このような背景から中学、高校の一部、また大学、短大、専門学校においても数多くの学部、学科で団体受検が実施されています。100校を超える大学・短大の入試において、世界遺産検定の認定者が優遇措置を受けられます。2015年1月現在、世界遺産は 1007件登録されており、そのほとんどが有名な観光地です。年間8億人とされる世界中の観光客がもたらす経済効果は世界遺産保全に不可欠な要素で、観光業界においても人材育成の一環として世界遺産検定の団体受検を実施する会社が増えていますし、入社を希望する学生に対して世界遺産検定の認定を持っているか否かを問う会社もあるようです。受験資格、合格基準等はhttp://www.sekaken.jpを見ていただくことにして、まずは4級か3級から受験してみてはいかがでしょうか。

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図51関東西部の鉄道網

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