日本の炭鉱世界遺産

世界の炭鉱遺産を巡る旅

連載コラム「世界各地の石炭博物館めぐり」その1 (いわき市、ワルシャワ)常磐炭田を知るために(いわき市石炭化石館ほるる)

常磐炭田は、幕末から昭和51年まで首都圏で家庭や蒸気機関車などの燃料となる石炭を採掘した炭田で、東京近郊で見られた石炭のほとんどは常磐炭田産といってよいものでした。その石炭が消えて40年、かつての繁栄の証拠はいまや産業遺産として現地に残るばかりです。これを知る好適な場所が「いわき市石炭化石館ほるる」です。常磐炭は硫黄分を多く含み、純度の低い炭質(低品位炭)という不利な条件があり、さらに地層が激しい褶曲を受けているため、石炭層を求めて地下へとひたすら掘り下げ、高い掘削技術を要する炭鉱でした。地下水が多く温泉も湧き出すため坑内は暑く過酷な環境で、1tの石炭を採掘する のに4tもの地下水が湧き出し、当時世界最大の排水ポンプを並べるなど行っておりました。

・常磐線湯元駅まで東京駅から特急ひたち号で2時間ほどで、まもなく下り方面の右手に、四角い赤いやぐらが見えてきます。これが「いわき市石炭化石館ほるる」です。駅から徒歩10分、ちょっとした丘を登り、館入り口に達しますと、「フタバザウルス」がお出迎えです。発掘模型は入ってすぐのところにもあります。発券場の横に立つのが片寄平蔵です。幕末から明治維新期に明石屋として横浜で常磐炭を広めることに尽力しました。このあたりは植松三十里の「燃えたぎる石」に詳しく書かれておりますので是非お読みくだされば幸いです。

・さて博物館に入りますと、常磐炭鉱の歴史と当館の関係が示されています。そうなのです、ここは炭田の湯元坑のあったところなのです。広場に出ると恐竜のお出迎えで、アンモナイトとともに中生代世界の再現です。阿武隈山地の基盤は古い古生代の地層や花崗岩なのですが、その上に中生代(特に白亜紀)にかけて、恐竜が闊歩する世界が広がり、同時に植物が繁茂して、新生代に入り炭田となることとなりました。温暖な気候のもとで石炭のもととなる植物が生育したということが実は大事なところです。

・二階に上がりますと、学習展示室でより深い学習を行うことができます。日本や世界のどこで石炭が取れるかを見て頂き、かつての坑口の見える戸外を眺めながらエレベーターに乗り、坑道へ降ります。エレベーターではかつての炭坑夫の弁で40年前の炭坑の中に引き込まれます。降りた場所は炭坑の中です。模擬坑道は、まず狸掘りから始まり機械堀りとなり、炭坑の歴史をたどります。いまや皆さんの目の前から消えてしまった石炭を命がけで掘っていた時代があったのです。ついで採炭の近代化があり、最後は炭坑住宅の中へと案内されます。よき昭和の地域の生活をよび起される方も多いのではないかと思います。 出たところにあるミュージアムショップで化石や鉱物標本とともに「黒いダイヤ」や「ふらがーる」というお菓子がありますので、「じゃんがら」「石炭飴」と共にお試しください。かつて石炭のことを「黒いダイヤ」といわれたことにちなんでいます。映画「ふらがーる」はスパリゾートハワイアンズのメモリアルです。炭鉱閉山後の温排水を利用した事業地は博物館から車ですぐのところにあります。また小名浜港にある「アクアマリンふくしま」では生命誕生から進化、環境への適応を実体験できます。あわせてぜひお訪ねください。

 

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ワルシャワの博物館めぐり

Jak się masz? ポーランドは飛行機で日本から約12時間くらいかかりますが、四季のはっきりした自然豊かな国です。エネルギーとして石炭が重要であり、その詳細や専門的なGuido博物館1)の内容は別途見ていただくことにして、首都ワルシャワ内で気軽に行ける世界遺産などを紹介したいと思います。私は2008年に開催されたEuroCoalAshという会議に、欧州石炭灰協会(Ecoba)の招待で初めて訪問して以来ワルシャワのファンとなりました。

1.ポーランドの地理及び歴史概要

 ポーランド共和国(Rzeczpospolita Polska)、通称ポーランドは、中央ヨーロッパに位置する共和制国家。欧州連合 (EU)加盟国であり、首都はワルシャワです。北はバルト海に面し、北東はロシアの飛地カリーニングラード州とリトアニア、東はベラルーシとウクライナ、南はチェコとスロバキア、西はドイツと国境を接しています。16世紀から17世紀にかけヨーロッパで広大な国の1つであったポーランド・リトアニア共和国を形成していましたが。18世紀に入り、ドイツ、オーストリア、ロシアにより国土が分割され、国家として消滅してしまいました。第一次世界大戦後の1918年に独立しましたが、第二次世界大戦の開始に、ナチス・ドイツとソビエト連邦から侵略され、戦後1952年、ポーランド人民共和国として東側諸国として独立、東側諸国の民主化とソ連の崩壊と東欧革命を経て、現在に至ります。国内にはビャウオヴィエンジャ国立公園、ヴイエリチカ岩塩坑、アウシュビッツ収容所跡などの世界遺産がありますが、ワルシャワ市内にも、歴史地区をはじめとして見所がいっぱいあります。

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2.ショパンの生地ワルシャワ

ワルシャワ・ショパン空港は町の中心部から10kmほどのところにあり、電車やバスですぐ中心部のワルシャワ中央駅に到着できます。空港の名前になっていることからわかるように、偉大なピア二ストであり、作曲家であったフレドリック・ショパンが生まれ育った町がワルシャワです。ショパン博物館や聖十字架教会などゆかりの史跡が数多くありますので、音楽好きの方にはウイーンよりも興味深いのではないでしょうか?市内は地下鉄とトラム・徒歩で十分回れますので、一日券がお徳です。地下鉄・トラムは線路のないところは走りませんので、地図さえあれば迷いません。

3.ワルシャワ歴史地区

1980年ユネスコ世界遺産に登録されたワルシャワは、第二次世界大戦で灰燼に帰した中から見事な再建をしたことに注意しなくてはいけません。昔の絵画や町の破壊を予期して人々が描いた スケッチ、写真などをもとにして、レンガのひびに至るまで丹念に修復され、見事に中世の町並みを復活させたとのことです。13世紀末には、現在王宮のある辺りを中心として町が形成されました。1596年にはジグムント3世 によって首都がクラクフからワルシャワに移され発展を遂げました。この当たりは旧市街にあるワルシャワ歴史博物館でわかると思います。 この地区に隣接してフランスに出て放射性元素の研究でノーベル賞を二度取ったキュリー夫人の博物館・天動説を唱えたコペルニクスの像がある新市街が続きます。科学の歴史に大きな足跡を残した先人の生涯を思い起こすのがよいでしょう。大統領官邸の周囲にはオペラハウスやワルシャワ大学が取り囲み、ヨーロッパの町らしい景色が続きます。

4.文化科学宮殿(科学技術博物館)

ワルシャワ中央駅を降りて、すぐ目につく高層建築が社会主義時代に作られた、文化科学宮殿です。この37階建ての建物中にお目当ての科学技術博物館があります。東京の科学技術館に似ていて、自動車や通信機器の歴史を実物で展示しているのですが、ポーランド独自のものとして石炭採掘技術の展示が興味深いのでご一覧ください。  まずは国内の炭田分布、地質の説明。次いで模擬炭坑になります。削岩機や安全システムに続き、鉄鋼等への展開が分かりやすく説明されています。ポーランドにあって、今なお発電の80%以上が石炭に依存していることを全国民が理解しているようです。褐炭(Lignite)と製鋼用の瀝青炭の違いは子供でもわかるようにしていました。同国の冬は厳しく、暖房無しには冬は越せません。知り合いのポーランド人に尋ねてみると、石炭に対する親しみもより一段のものがあるようです。

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ポーランドのお土産

博物館でも展示されているのですがバルト海沿岸の琥珀が加工されて工芸品になっています。一方トルンという天文学者コペルニクスが生まれた町の伝統銘菓、ジンジャーを使った洋菓子のピエルニキは、星形をしており、たっぷりの蜂蜜が使われており、そのピリッとした中にあるほんわかな甘さが独特です。また容器が重いですが蜂蜜(Miod)も捨てがたい。ポーランドのパン、オブヴァジャネックにつけて食べると最高です。Smacznego!


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